介護現場における壁と卵。つぶれる卵の側に立つ人の行動が、組織を変える。
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田中陽子さん×浜田きよ子 対談 『介護現場における“壁と卵”』

田中陽子さん
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浜田きよ子代表の講演

2012年12月25日、滋賀県立長寿社会福祉センター(草津市)で、浜田きよ子代表が講師を務めた講習会が開催されました。この講習会では、特別養護老人ホーム絹島荘(香川県東かがわ市)の介護士・田中陽子さんが実践報告されました。

研修は、出席者自らの事例のはいせつ障害について考え、各自の取り組みなどをグループ内で語り合い、また今後のケアにつなげていくことを目的に開催されました。

その講演の合間を縫って、浜田きよ子代表と田中陽子さんに、介護現場を変えて行く意思について語っていただきました。


つぶれる卵の側に立つ

 

田中陽子さん 私たちはまず、職場の突破口を開こうとしています。

 

浜田きよ子 職員さんがケアを通して利用者さんのひとりひとりとどう向き合っていくのか。その人ができることを見つけて行く。その人が落ち着くようなところが何かを考えるなど、田中さんの講演を聞いた人が、そういうことを考えるきっかけになってほしい。

 

田中陽子さん ひとりひとりの、自分自身の壁にどう向き合うか。村上春樹さんの「壁と卵」のスピーチをいつも思っています。

 

浜田きよ子 そう。自分はいつもつぶれる卵の側に立つ。

 

田中陽子さん そうなんです。 善と悪が対立しているものではないし、弱者と強者というものとも言い切れない。その関係。システムと心ある個人の構図。システムは組織。事業所であることもありますが、事業所のトップでも卵の側に立っている人もいます。でも、はじめた仕事のやり方など、見直そうと言いだすことができなくなっていく。システムは機能すれば皆を守ってくれるものなのに、何のためのものか、ここを問わなくなっていく。結局、介護の現場で職員が悩むのはそういうところですよね。

うちはこんな施設だからと言わずにすむ道

 

浜田きよ子 今日のお話を聞きながら思ったのは、田中さんたちは丁寧にそれぞれのお年寄りに関わっておられます。でもなかなかあんなふうにはできなくて、するとどこかで、できないことの言い訳を探してしまうのです。

 

田中陽子さんとの対談風景田中陽子さん できない理由を探すくらいなら答えられることを探した方がよほど良い。

面白いのは、経験を積んで自分に力が付けばその壁は低くなる。壁の高さは本当は変わっていないのですが自分と壁の相対的な関係で、壁が低くなって、ひょいと飛び越えてしまう。壁って、崩れないモノではない。

そして、崩さなくても飛び越えていける。飛び越えても、また次の壁があるんですけれど、でも、飛び越えた経験もまた事実です。

こういうところは、介護の現場の皆さんに伝えて行きたいのですが、上手く伝えられない、難しいです。

これは、関わっている相手をどうしてあげたいのか、その本気度によると思います。「仕方ないで終わらせて良いの?」って、問うんです。

 

浜田きよ子 その人に関わると、見えてくることがいっぱいある。個人が向き合うだけで変わることがある。そのことは実感していくべきです。「うちはこんな施設だから…」と言わずにすむ方法を探さないと。

 

田中陽子さん 皆、同じ問題を抱えていますね。

 

浜田きよ子 そうなんです。でも自分の問題として引き寄せてくる前に、「これは施設としての問題」だと思ってしまうと、解決しにくくなります。

 

田中陽子さん 分けて考えて、理路整然と、どこで解決できるかを考えることもあります。「ああ、これなら、自分の夜勤の日に、お試しで挑戦できるな」とか、見えてきます。課題によって難易度が違うので、課題を整然と分けて考えるのは重要だと思います。

 

浜田きよ子 私は以前から、ずっと、特養でもデイサービスでもそうなのですが、利用者さんの人物像がイメージできるくらい、その人の生活史を知ってほしいと思っています。

本人に語ってもらったらよいと思うんです。京都のある特養で私は以前からからオンブズマンをしていて、ひとり1時間くらいお話を聞いていたんです。その人の生活史を聞くと、ちっちゃな村の村長婦人だったり、母子寮の寮母さんだったり本当にさまざまです。

重度の認知症でも、自分で自分を語る言葉は豊かですし、話はパラパラとつながっていないこともありますが、なんとなくその人のイメージが分かるようになります。その人が持つ価値観が何となく伝わる。それが大切で、お話を聞くとかかわりが変わってきます。

 

田中陽子さん 情報が少ない時は家族の言葉がヒントになります。現場では利用者さんと良い関係になると、結構、聞けます。ある人が最初、私のことを「みっこちゃん」という名前を呼んでいました。

だれ?と思っていました。たまたま来られた親戚の方に、「みっこちゃんって、どなたですか?」と尋ねたら「それは私です」と。長女の名前だったんです。

その後に、「まゆみちゃん」というお嫁さんの名前が出てくるようになって、その利用者さんは私のことをまゆみちゃんと呼ぶようになりました。

ご家族にもそんな話をしていくと、皆が少しずつ語るようになって、情報が増えて行きます。ご家族も、もっと知ってほしいと思っておられる。こちらが聞けていなかったことがたくさんあります。別の方の場合、キーパーソンに何と「猫のミー子」が出てきました。その方に「ミー子」と言ってあげると落ちつく。

NGワードから始まる関係づくり

 

―― 田中さんのお話しの中にありましたが、NGワードのチェック。言葉が変わると関係が変わっていく。というのが興味深かったです。

どんな組織でもそうですが、組織というものは「波風が立たない方向に流れていくもの」です。でも、そこに「言葉を変えようよ」と言って波風を立たせる。言葉が変わったら関係の化学反応が起きて行く。関係を見直していくために、相手のことも自分のことも見て行く作業を実行する。

これは、医師もあまりしない。看護師もあまりしない。でも、介護の現場ではそれをする。そういうことが面白いと感じています。

 

田中陽子さん NGワードって、実は「私が聞いていて耳障りな言葉」が発端です。

「またですか」とか「待ってて」とかいろいろです。これを使わないようにしようと決めました。

仕事を始めてすぐに気になっていたこと。皆が口にする。でも本人は快く思っていないでしょうね。という言葉がいくつもあります。NGワードを探し出して好ましい言葉に置き換えて行くんですが、後はアレンジ。オリジナル。

同じ言葉をかけても通じる時と通じない時があります。その言葉をかける側の人によっても変わります。そのことで、利用者さんは、私というキャラクターを含めてみていただいていると言うのが分かります。

NGワードは、禁句を声かけから外していくことですから、マイナスのイメージがあるかもしれませんがそうではないです。こんなふうに声かけしたら笑っていただいたとか、落ちつかれたとか、皆がそんな気持ちで、関心を持ってもらいながら生活できたら、その人はもうぜったい大丈夫です。

周囲の目と気持ちがその人に向かうわけですから、私が事例でお話しした方のように、元気になっていく。

NGワードってそういうものでしょう。

眼に見えない関係をどうにかするには、眼に見える具体的な方法が必要。見えないモノを見える形に作り替える。そういうルールが必要ですが、そこに終始してはダメ。

いくつものオプションとしての、関わる人たち一人一人のアイディアが必要。

相手に身を置く

 

浜田きよ子 介護はいつも、介護する人、される人の相互の関係の中にある。そう言いながら、マニュアルと呼ばれるものは、介護する側のマニュアルでしかないことが多いですね。

相手を変えるためにはこちらも変わるしかない。NGワードのお話でいいなあと思ったのは、田中さんが「いったん、相手に身を置く」ということを実践されていることです。受ける側の感じ方を自分の身で体験されること。それを凄く当たり前にしていることから、見つけられるもの、変えられることがあるのですね。

 

田中陽子さん そこは無意識なんです。

 

浜田きよ子 介護の現場で「相手の側に立つ」のはなかなかなくて、何というか、楽に介護する方法論が横行していますし、「相手が生身の人間であると分かっているのに思いをはせることができなく」て、「覚えればすむかたちが欲しい」。1対1の対応のマニュアルを求めてしまいます。

 

田中陽子さん 私たちが楽になることと、利用者さんが楽になることの一致する所、落とし所を見つけたいですね。楽をしたいと思う職員さんがいるという施設は、恵まれています。双方にとって楽になりたいから、その原動力になってくれます。

 

浜田きよ子 目の前の楽さを追いかけて、かえって大変になっていくことが多いので、そのことを注意して、相手にとっての楽と自分にとっての楽が重なるように。

一方的に頑張るのではなくて、相手ができることを探していくのはとても大切です。

 

Fin.

 

 

浜田きよ子

田中陽子さんの1級論文

 

講演に先立ち、浜田きよ子代表が田中陽子さんの「オムツフィッター1級論文」を朗読しました。

 

浜田きよ子 むつき庵ではオムツフィッター研修を継続しており、すでに3000人を超える受講者がいます。田中陽子さんはオムツフィッター1級の資格者で、提出していただいた論文が素晴らしいのです。

何よりその実践がとてもいいのです。この研修の最後にあたり、どうして田中さんをお選びしたかという理由をお伝えしたく、まず私がレポートを読み、皆さんにご紹介します。

 

『研修の学びをケアに生かして』

 

研修中のおむつ装着体験では自分なりに毎回テーマを決めて行っていたが、排便についての実感を得たいと考えていた。しかし排尿以上に仰臥位や側臥位では困難で、座位にてやっと。逆に言えば、便座に腰掛けられるならば、下剤の必要性が減るかもしれない。講義で聞いた排便のメカニズムを体験。朝まで装着し、その感触を味わいつくした。実際にはナースコールで知らせてくれたり、巡回時に気付くので朝までそのままと言うことはまず起こらない。私の場合気になったのは不快感よりも臭いとモレだ。

自分が耐えがたいと言うよりも、臭いが周囲に広がるのではないか。衣類やシーツを汚すのではないかという不安。それは他者の存在をどのくらい意識するのかによって変わってくるのだろう。ただ、数回の装着体験で慣れると言うことも分かった。通常の感覚を失っていくと言う方が正確かもしれない。身体と意識が、おむつを使用し続けることによって、少しずつ鈍感になっていく。あきらめや遠慮もあるだろう。いつでも外して自分で処理できる条件での体験で、日常の排泄を他者にゆだねざるを得ない人の気持ちにどれだけ近づけたのかは分からない。そして自分の感じ方はあらゆる人の感じ方の一つにすぎないと言う認識が必要だと思った。はいせつパターンや、排尿量を把握したうえで、はいせつの方法からパッドを選び、当て方まで、もっと個人の感覚に目を向けることが大切である。

 

―――― 田中陽子さんの事例 ――――

断片的な思い出とともに、大切なことが分かる瞬間

 

Wさん 94歳女性

 

介助によりかろうじてトイレではいせつできていたが、平成21年11月、車いすから転落し、右上腕骨頚部骨折によりおむつでのはいせつとなる。高齢のため手術せずにという本人、家族の意向から完治は難しいと言われていたが順調に治り、2カ月後、もとのように動かせるようになった。

ところが排便は浣腸や下剤に頼る生活になってしまった。ポータブルトイレに座ることを進めても、なぜかおむつのままで良いと言う本人の気持ちを推し量りながら、4月3日ポータブルトイレでの排便を試みる。その日は排尿だけだったが、翌日排便でき、共に喜んだ。とはいえ、高齢者は筋力向上どころか維持するのが難しいものである。Wさんも次第に下肢筋力が低下し膝の拘縮がはじまり、立つことが苦痛になってきた。介助が1人から2人になり、移乗の方法も、立位の時間を短くできるように変更した。それでも介護士の負担は大きく、おむつもやむを得ないのではないかと皆が思い始まる。自力での立位が困難な上に、パンツを下げている途中で排尿がはじまってしまう。

Wさんの状態にあった介助方法を模索する中、「おむつでええ」と言っていたWさん本人が、「トイレでお願いします」と伝えるようになり、実際に座位により、センナを飲む以外に、下剤を必要としなくなった事実も大きく、あきらめるわけにはいかなかった。

その頃、園で、座位から立位にする時に使う移乗用のリフト「スカイリフト」を導入することが検討されており、試験的に使ってみたところ、本人と介護士の負担がかなり軽減されることを実感した。Wさんは排便後、必ず何やらノートに書き込んでいる。

ある日ニコッと笑って私にノートを見せてくださった。

「●月●日、ベンデマシタ。」カタカナ6文字の排便日誌。その6文字から、排便がWさんにとってどれほど重大なことかを思い知った。

そう言えば入所時の書類に「老人会に参加したが、はいせつの失敗があり、以降、外に出たがらなくなった」と記されていた。

入所後しばらくは毎日漏便して大変だったとも聞く。夜間、便が出て拭こうとするもうまくいかず、便の手で周囲を触ってしまっただけ。とも思えるが、それも日中に排便できれば解決する。多くを語らないWさんは、毎日色鉛筆で絵を描いた。その集中力と根気は相当なものだと思う。個展を開こうかと言ったら笑っていた。毎日描き続け、ふと気が付いたら同じ絵だった。

テルテル坊主である。

ある朝、外に向かって手を合わせているWさんを見かけた。「何を拝んでいるのですか?」「おひさん」。テルテル坊主とつながったような気がした。

日向ぼっこが好きなWさんには太陽信仰のようなものがあったのかもしれない。こちらの質問には、「わからん」「きこえん」を繰り返すばかりであるが、二人で散歩に出かけた時、昔のことをたくさん話してくださった。

断片的な思い出とともに、大切なことが分かる瞬間がきっとあるのだろう。そのWさんが10月に肺炎で入院。戻ってくることがなかった。

もうすぐスカイリフトが届くと言う、穏やかな秋の日のことである。

1日1日、目の前の利用者さんには真摯に向き合っているつもりでも、自分の未熟さゆえに十分なことができなかったと、長い別れの後には必ず気が重くなる。それでもただひとつ、最後までポータブルトイレに座ってはいせつすると言う本人の願いを支えることができた。それだけは良かったと思える。

魔法の技術

 

Sさん 89歳 女性

入所時のSさんは、不眠、帰宅願望、モノとられ妄想、被害妄想、見当識と認知症の代表選手のようだった。気丈でプライドが高く「おむつをするくらいなら死んだ方がまし」が口癖。家族は来てくださっても会うと興奮するのでと気付かれないように遠くから見て帰ってしまう。子どものころからしっかり者で和栽の先生をし、何でもできる。自身に満ち溢れていたようだ。それが少しずつ揺らぎ始め自己が崩れて行く不安と混乱を周囲にぶつけているようだ。

Sさんの話はいつも一方的で際限なく続く。やがて心の中の世界が手に取るように伝わってくるようになり、意思の疎通もできるようになった。

入所3カ月が経ったある日、Sさんから「届けてほしい」と小さく折りたたんだ紙片を渡された。「これで通じるのか」と確認を求められ中を見ると、数行の走り書き。家のことが気がかりなのでとにかく一度帰りたいということ。連絡を取りたいが電話が通じないこと。皆に良くしてもらっているので安心しなさいということ。そこには帰宅願望と言うよりも、子を想う親の当たり前の、切実な思いがつづられていた。必ず届けると約束したものの、家族がSさんの介護でどれほど苦労したのかは十分に分かっているので届けることもはばかれ、涙が止まらなくなった。

落ちついてきたとはいえ、帰宅を検討していただけるまでには精神的には安定していない。考えた末、家族には会いに来てもらい、Sさんの気持ちを伝え、様子を見ながら一時帰宅も考えてほしいとお願いした。

そのころからSさんは、今を生きられるようになったと思う。

私に向けられた辛辣な言葉は、甘えの裏返しではないか。と感じられるようになった。

妄想がはじまると私を嫁の名前で呼ぶ。嫁になりきる。やがて家族の理解と協力を得て外食やお寺詣り、県外への里帰り、家に帰ることができるまでになった。

朝は誰よりも早く起き、テーブルを拭くのが日課となる。自分にしかできないことで人の役に立てることに満足されていた。それでも思い出したように海に飛び込むと言う。「飛び込むなら私も一緒に」と言うと、「慌てんでも、そのうち迎えが来るよ」と返す言葉はいろいろだが説得ではなく、私はSさんともっと一緒にいたいという本心を伝える。そんな言葉を待っていたかのように、「ほんだら、もうちょっと生きとってみようか」と笑う。

そんな矢先、居室で転倒。大腿骨頚部骨折で入院となった。

一カ月後、車イスで退院したSさんは、夜間不眠のため、安定剤を服用しもうろうとし、あれほど嫌がっていたおむつを付けていた。

それでも「お帰り」と声をかけると「また会えて良かった」と声を上げて泣いた。

病院では頑張っておむつの中に便を出す練習をしたと、少しさびしそうに報告してくださった。きっと今まで、何に対しても精いっぱい努力してきたであろうSさん。

失意の中で受け入れがたい現実をどう受け入れたのか、想像すると胸が痛む。なんとかおむつを外せないかと介護士の気持ちは一致していた。踏みたても立位も困難な状態での退院でありPTもいない中、手探りで元の状況を目指し、退院2日後にはおむつからリハビリパンツに変更しトイレに行ってみた。そして1カ月後には「前にはいとったパンツがええ」というSさんのひとことで布パンツに戻った。大きなお尻をすっぽりと包む込む花の刺繍が入った布のパンツ。Sさんは見事に復活した。

私たちは意欲が向上することにより、ADLが向上すると考えがちだが、逆だったり同時の場合も多いと、はいせつを見直していく中で感じる。

おむつからパンツになったことで依存心が減ったり、外出したくなったり、自発的な言動が増えたり。はいせつはどう生きるかにまで関わる行為なのだと思う。

Sさんは現在、車いすでの生活をされているが、歌って皆に聞かせてあげると、自慢の炭坑節が今日もホールに響く。

役割は与えられるものではなく、自らが見つけてこそ意味があると、教えてくださった。

ケアプランを立案し、それに沿って計画的にケアを実施する介護の責務である一方、利用者と介護士という関係からいったん離れて、ただの人として共に泣ける時、現状を打開できるのも事実である。時空を超えた世界に存在する認知症の方との会話の中から、その人独自のことばを拾い、その人とだけ通じる共通語を増やしていく。ひとつひとつの、その人なりの解釈があり、そう表現する理由がある。

Sさんはころびそうなったときや、自分でしまい込んだモノが見つからない時、魔法にかけられたと訴える。Sさんにとって魔法は、自分の意にそわない理不尽な出来事の原因である。最近、私はSさんが「取られた」と言うお菓子や服をSさんの部屋からすぐに探し出し「魔法で見つけたよ」と言う。ポカンとした顔で、「ええ魔法があるんやなあ」とつぶやいておられる。私はSさんが困った時、いつでも助けてあげられるよう、介護技術だけでなく、魔法の技術も磨いておこうと思う。

 

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