何者でもない私が生きていく。ケアの現場での一期一会。大坪麻理さんとの対談。
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大坪麻理さん×浜田きよ子 対談 『何者でもない私がそのまま生きる』

大坪麻理さんとの対談
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各種研修でもおむつフィッターの皆さんにはおなじみのむつき庵 大坪麻理さんと浜田きよ子が、人生、職場などに対する思いを語りました。 取材日2015年10月16日。

 私たちはお互いにさまよいあいたい

 

浜田きよ子 むつき庵は多様な価値観や経験が集まるところです。身体のある一点の専門性を持ってしてケアを語ってきたのでもないし、研修を重ねてきたのでもありません。
  もし自分が何かの専門家であったとしたら、その専門性で分かることを謙虚に捉えなおし、人という全体から考えようというメッセージも含んでいます。

 

――むつき庵という集団が持っている個性であり、活動の積み重ねであり、というものから育まれた価値観は浜田きよ子さんという、いち個人の人生における【さまよい加減】がそのまま表現されていると思うのです。

 

浜田きよ子 【さまよい加減】、確かにそうですね。「正しいことをお教えします」などとは絶対に言えない。それに「そもそも正しいって何だ」って言いたくなります。そんな「分からなさ」や「不思議」、それらを専門家の皆さんから見ても面白いと思って関わりを持ってくださったからこそむつき庵が10年を超えたのだと思います。

 

――浜田さんの【さまよい加減】をそのまま再現するのは、浜田さんではない【他人】には難しいことです。しかし関わりを持つ方々は、多少なりとも同じような世界を知っておかないといけないだろうと思っています。浜田さんが後に続く方々に道を譲る時に「多様」「放浪」「遊び」「しなり」といった事柄が消えて、代わりに専門性こそが大事だということに落ち着いてしまったら、それは浜田さんの仕事とは違うメッセージになります。

 

浜田きよ子 おむつフィッターの皆さん、関わってくださる専門家の皆さんはぜひ、さまよっていただきたいのです。

 

――さまようことについてですが、浜田さんは、きちんとさまよう。しっかりさまよう。なぜかと言うと【確固たるワタシ】ということ自体を疑うから。普通は【確固たるワタシ】を固持したまま移動する。それでは放浪ではなく観光になってしまう。

 

浜田きよ子 【ワタシ】というものは、関係の総和にすぎないので、確かな存在があるというものではありません。家族や友人との関係、仕事や地域との関係、さまざまな関係の言わば交点がワタシと言ってもよいと思います。記憶がワタシを形作っているとも言えます。この話はこれくらいにしないと前にすすみませんが、多くの人にとって、ワタシは確固たるものというのが当たり前になっています。でもやはり、私たちはお互いにさまよいあいたいと思います。そういうことを踏まえて、大坪麻理さんとお話しをしたいと思います。

 

何者でもない私

 

浜田きよ子 私は自分の職場でも、人の職場でも、その場所が柔軟だったら良いなと思っています。柔軟と言うのは、多様な価値を受け入れるということなのですが。ところで大坪さんはもう何年になりますか?

 

大坪麻理さん 2009年5月に入社しました。もう6年半位ですね。

 

浜田きよ子 私と平田さんが面接を担当しました。

 

大坪麻理さん 当時私はアロマセラピストの資格をとるために、前の職場をやめて学校に通い始めた時でした。なので、勉強に支障がないようにアルバイトを探していました。

 

浜田きよ子 だからはじめからパートが良いと言われていた。大坪さんは院卒なので、果たしてうちで良いのかと心配していました。

 

大坪麻理さん 社会福祉学専攻の大学院をでました。福祉の領域をウロウロしていて、変化をしながらも関心のあるテーマは持ち続けています。前職では児童虐待の電話相談員をしていました。排泄ケアの領域に関わったことはなかったのですが、福祉に全く関係のないところではなく働けたらなと。アロマの学校も大変になるだろうし、頑張りすぎないように気をつけてもいて、そういう条件で仕事を探していました。前職をやめた時に、家族や周囲の人に「ちょっと休む」と言っていたんですが、少しでも回復すると動いてしまうんですね。前の職場に行く時にむつき庵の前を通っていたんです。夜勤が主だったので午後3時過ぎに。だから「あそこなんだ」と面接も受けやすかったですね。「何をしているところだろう」と気になっていたのです。

 

浜田きよ子 大坪さんは、むつき庵スタッフのなかでは飛び抜けて若いです。私にとって大坪さんが入ったことは、職場にとっても良い出会いでした。ケアはそもそも「正しい方法はこれだ」というものではなく、あれこれとその都度考える事が重要であり、そもそも私とは何者でもないということをわかっていて、そこで、相手との関わりの中で、困り事をなんとかしないと思うことから始まります。大坪さんと仕事をする中で、この人は、そんな気持ちをちゃんと受け止めてくれたり、語ってくれる人なのだということを、私は感じていきました。

 

大坪麻理さん 面接で初めて会った時に何か感じるものもあって。今も浜田所長と平田さんに出会った日のことをよく覚えています。「何者でもない」ということで言うと、何者かにならなければならないというプレッシャーや自信のなさに縛られて生きていたと思います。私の場合は大きく体調を崩した後に、それを諦めようと思って、いい意味で諦めて手放そうと思いました。大変な作業でしたが、「何者でもない私がそのまま生きていく」ということを覚悟した時期がありました。そういう時期があったので、所長の言葉が響いたり、「分かるなあ」と感じることがあります。

 

浜田きよ子 「私はこんな資格を持っています」と熱弁してみても、それは言わば自分が着ているオーバーコートのようなものだし、それ自体はそれ以上のものでも以下でもないと思います。私自身は専門性、権威ということについて、そこに精通することの意義深さは十分感じていますが、一方で、そこからしか見えなくなっていくことの怖さも感じてきました。その意味からもどんなに偉い?人であったとしても、人同士としては対等に付き合いたいですし、お互い様だと思っています。また自分自身はつたなくて何者でもないことは重々承知しています。そんな私が今ではケアの相談を受ける。楽ではないけれどもそのスタンスで生きてきました。

人はだれでも「こんな自分になるんだ」という目標を掲げて生きていくけれど、大坪さんはそれを断念して、そんな時に私たちに出会ったのですね。

 

大坪麻理さん それを手放し始めた時だと思います。自分で自分に色んなものを課していたのだなと。でもやはり今でも、何者かになりたいと思ってあがいたりしています。

 

浜田きよ子 たぶん私達の世代、69年の高校卒業組。団塊世代のしっぽですが、時代的にみんな、生きるって何だろう、働くって何だろうと考えてきた世代なんですね。当時の私は「給料が高いし、労働条件がよいからこの会社」なんて素直に思えませんでした。もちろんその姿勢を変えて会社に入る人も当然多いし、それは悪くないけれど、私はそんなふうに方向転換ができずに、ずっとそんなことを引きずって生きてきました。

それはしんどいことだったけれど、悪くはなかったです。どこどこの会社の重役ですなどとは名乗ることはできないのですが、そこで出会えるもの、見えた世界があったので、良かったと思います。

時代的に、大坪さんの青春時代は、私達の69年組から変わっていてそれぞれに「確たる私」があって当たり前だった世代。社会がそれを当たり前だととらえている時代に、それを断念したのはさぞかし苦労したと思います。

 

大坪麻理さん 手放すのは簡単ではないことだなと今でも感じています。世代の話ですが、私は1975年生まれです。サラリーマンと専業主婦の両親で、中学卒業までは社宅に住んでいて、そんな時代の子どもでした。

 

共有できない痛み

 

浜田きよ子 そんな時代のなか、大仰に聞こえるかもしれませんが、私にとって【痛み】はキーワードでした。自身の痛みもそうですが、他者の辛さも決して共有はできない。そのうえで人にはそれぞれの【痛み】【つらさ】があると。大坪さんにとっても【痛み】はテーマの一つだろうと思います。

 

大坪麻理さん そうですね。自分の【痛み】をちゃんと見つめるというか、引き受けることは必要なんだなと思います。そのうえで相手の【痛み】に寄り添うことができるのかもしれない。私は【痛み】や【苦しみ】であってもその人自身のものだと思っています。私がすごく【痛み】がある時には、わかってほしいんだけれど、一方で簡単にはわかってほしくないという思いもあります。

 

浜田きよ子 【痛み】もそうですが、【哀しみ】も自分だけしかわからないと思っていました。時代や歴史の流れで、自分の【痛み】や【つらさ】が何らかのかたちで諒解できることで、その質が変わるのは事実です。いろんな人と話し、いろんな本を読み、いろんな集会に出る。そういうことで他者の【痛み】と自分の【痛み】の重なる部分や違う部分に気づいていく。だから、若い時に自分だけで閉じてはいけないと思っています。一方でそれは自分だけのものであるのも事実だから、自分を単に開ければよいという話でもないのです。

 

大坪麻理さん 大学院の時には子どもの頃に親との関係で辛い思いをした人、夫から暴力を受けている人、依存症と向き合っている人などに出会いました。前職では虐待という暴力の問題に関わっていました。うまく言えないのですが、「これをしています」とはっきりしたものはなくて、ウロウロしていて。当事者としての自分もいるし、時には援助者の側に立つこともあります。

とはいえ当事者同士グループを作ってその立場に居続けるのでもなく、援助する側の強いエネルギーを持った人たちとはなかなかずっと一緒に居ることもできないでいます。私はこうだと言えるような活動はしていないし、そういう活動をするには自分が弱すぎます。主義主張ができないのに根っこには頑固なところもあります。私の中ではどこかでつながっているのですが、そんな風にウロウロしています。

そういう私が浜田所長と出会って、かなり生きやすくなった、呼吸がしやすいなと感じています。模索は続くのですが大きな安心を与えていただいています。

 

浜田きよ子 その安心って?

 

大坪麻理さん 漠然とした不安の中で生きるのが当たり前だと思っていました。ですが浜田所長と一緒にいるなかで、少々ダメな自分でも許されるかもという安心を少しずつ知りました。ちゃんとしていなくてもそれでも良いと、何度も言ってもらいました。所長は人に対して許す、許さないという判断はされないだろうというのは分かっているのですが、私は何度も何度も許されたような気がしました。安心できる世界というのは、自分がそれを体験してみないとわからないものです。子どもの頃から緊張した関係の中で生きてきて、私だけでなく緊張を抱えて生きている人はいるはずです。「これが楽をするということか」「これが心配が少ないということなのか」というのは、体験しないとわからないことかもしれません。家族との関係が少しずつ安心できるようになってきた時期だったのですが、職場、社会の中でこういう安心できる場所に出会えて感謝しています。

 

苦痛ではない職場を作る

 

浜田きよ子 私は大坪さんと同じようにここで仕事をしているわけです。大坪さんがここで安心できる、と言ってくれるということは、私も安心できるのでしょう。私の若い頃はいろんな体験をしました。

シモーヌヴェイユの著作などを読む一方、肉体労働ができればどんなことでもできるのではないかと思ったりもして、府立の病院でシーツ交換をしていたこともあります。子どもも育てたかったし。一方で賃金を得ることはこれほど我慢をしないといけないのかと思うこともたくさんありました。

だから私は当時、いつか自分が職場を作るとしたら、人が心地よく働ける場所ならいいなあと考えていました。その仕事は何のためのものかを考えたうえで、職場を作る。でもお金を得るために働く場所や時間は、あまりにも長いものです。だったら、互いにとって少しでも気持ちよく、苦痛ではない場所を作るべきだと思っていました。なので、そのように受け取ってくれる人がいるのはすごく嬉しいことです。

大坪さんがむつき庵で働き始めるのと、アロマセラピーの勉強を始めるのがほぼ同時期。なぜアロマセラピーを勉強しようと思ったのでしょうか。

 

大坪麻理さん 前職は夜勤で相談内容も重く、緊張の高い仕事でした。自分自身の緊張を和らげるために、良い香りをかいだりハーブティーを飲んだり、趣味で楽しんでいました。もう少し勉強したいと思うようになって、でもアロマトリートメントを受けたことも、もちろん誰かにしたこともなかったので、できるかなと悩みました。アロマの学校を見学した時の先生や空間の雰囲気で、やってみようと思いました。アロマセラピストになった今も、なぜアロマやハーブをしているかというと、自分の身体や心とお付き合いしていくためのツール、自分の身体や心を大事にするためです。もうひとつは、アロマやハーブが私と相手の間にあることで、人と接する時に私自身が楽な気がします。今は月に数回誰かにトリートメントするというゆっくりのペースですが、これからも大事にしたいです。今までしてきたこと、むつき庵でしていること、自分の中ではすべて緩やかにつながっています。

 

浜田きよ子 私もつながっていると思います。人と人がむき出しで関わるよりも間に何かあるのは良いことですね。今、介護の現場は人と人が直截的に関わっています。ここにアロマも含めて様々なものがあるなかで関係が変わったり、薄まったり、それを起点に何かが始まったり、関係が良い方向に変わっていくこともあり、面白いです。ケアの一環としてリビング用のアロマとか、就寝用のアロマなどを考えている施設もあります。大坪さんのアロマの話がむつき庵の講習になっても良いですね。

 

大坪麻理さん ケアしている人自身が大事に触れられる経験があるかなと思うことがあります。誰かに大事に触れられる経験が、他者に大事に触れることにつながるのかもしれません。私達アロマセラピストが施設を訪問するときは、まずはそこで働く人たちに、アロマって気持ち良いのですよと知ってもらうことを大事にしています。生きていく中で、人に大切にされる感覚や安心を得てきている人ばかりではないと思います。もしかしたら、福祉の現場でケアを担う人の中には、その経験を得てきていない人もたくさんいるのではと感じることもあります。

それから、他者を大事にするということで思うのですが、浜田所長を見ていて、「ここまで他者に寄り添う人、ここまで人と付き合う人は今まで見たことがないなあ」とも感じています。私は少し傷ついたり、パワーの強い人と接したりすると、自分を守るために逃げたくなってしまう。もちろん逃げるのは悪いことではないけれど、所長の他者へのまなざし、所長が他者とお付き合いしている様子を見ていると私ももうちょっと違う対応をしてみようとか、もうちょっと付き合ってみてそれでもダメなら逃げようとか、自分を立て直すきっかけを与えられています。

 

一期一会のケアの現場

 

浜田きよ子 人に触れるということについてですが、大坪さんは手を大事にされています。考えてみれば人に触れる手が荒れていると、触れられる側は心地よくないです。介護の現場ではケアする人は自分の手をすごく大事にはしていない。またそれは、他者に触れる時の触れ方を大事にしていないことにもつながります。時には手首を掴んで連行するようなケアもするでしょう。触れるって何だろうと思うときに、それは自分の手を綺麗に保つ、ということの積み重ねでもあるのですが、これらは伝わっているとは言えないですね。こういう部分は大坪さんのような人が伝えていっても良いと思うのです。

 

大坪麻理さん 触れ方とか手の温もりとかで、変わることがあります。以前、高齢者施設を訪問して、一人の女性にアロマトリートメントをしていたんですが、30分ほどお身体に触れているとポジショニングピローがいらないくらい身体が緩むことがありました。身体の力が抜けるとこんなに心地よいのだということを、ケアを受けている人自身が知ることは大事だと思います。でもアロマセラピストが施設に行くのは月に数回だけです。やはり毎日触れているケアを担っている人たちの触れ方こそ、大切なものだと思います。

 

浜田きよ子 大坪さんの日々を見ながら思っていたことがあります。ケアをしている人がテクニック以前に、自分の手が温かいかとか、荒れているとか、どこからその人に触れるかとか、そういうことを改めて気づき直すことの必要性がありますね。声のトーンとか大きさもそう。やっていることは色んな意味でつながっているし大事ですね。

 

大坪麻理さん 自分の手が気持ち良いと嬉しかったり、触れる時も気持ち良いなと感じるかもしれないです。それから、ケアを担う人もなんというか、幸せだなあと感じても良いと思うのです。私自身がそうだったのですが、自分が安心したり幸せになったり楽になることに罪悪感を覚える人たちもいると思います。でも、自分が楽しいなあ気持ちいいなあと感じて良いんだなと思っています。

 

浜田きよ子 その人たちがトリートメントを受けながら、ああ気持ちいなと感じる幸せは大事。でもそんな経験は少ないのではないでしょうか。ゆったりできない環境のなかでケアをして、バタバタと家に帰り、食事などを済ませる。自分をケアする時間がないでしょう。

 

大坪麻理さん 自分を大事にする、ケアするというのは簡単ではなくて、私もすごく意識していないと、なかなかできないことだなと感じています。

 

浜田きよ子 ケアする人をケアする。ケアしあう。ということがますます大事ですね。むつき庵での仕事もアロマのこともつながっていますね。大坪麻理風の何かができていけば面白いです。

 

――【私】は何者でもない。という自覚を持ってして介護の現場に立つとき、ケアするべき相手は自分を捨てていく最後のコーナーを回った人でもある。時間軸で言うと、寝たきりとか死が待っている。そこに何者でもない私が立ち、相手はすでに何者でもないかもしれないし、あるいは何かにしがみついているかもしれない。でもいずれにしても事実として全部置いていくことがわかりきっている人。一期一会なので当たり前ですがでもその一瞬には、ケアを挟んだ関係者同士はそんなには意識してはしていない。そもそも一期一会の覚悟で人に出会っている人も少ない。何かそういうところで言葉があれば…。

 

大坪麻理さん 今、一ヶ月に1回ホスピス病棟にアロマセラピストとして訪問しています。1人30分位、4〜5人の方にトリートメントをします。まさにここは一期一会で、一ヶ月後に同じ人と会えるとは限らないです。

お身体に触れると「気持ち良かった」「ありがとう」と伝えてくださいます。そんな時、病を得て不自由さを抱えていても、けっして与えられるばかりの存在ではなく、訪れた人に「ありがとう」「がんばってくださいよ」と伝える、何かを与えることのできる存在なのだと気づかされます。

私は、触れた方が気持ち良さそうだったり、安心してホッとしている様子を見て、嬉しいなと感じます。お一人おひとりから私は、そんな時間を与えてもらっているんだなと気づきます。おそらく、一ヶ月に一回、その時間だけをともにするアロマセラピストであるからこその関係性、そこで毎日関わる看護師や医師とは違う関係が生まれているのかと思います。

 

その人の人生を聞く

 

浜田きよ子 もう、それ以上言うと蛇足かも知れないですが以前、京都の施設でオンブズマンをしていました。そのために利用者の方々の話を聴き続けていました。私の役割としては、そこで暮らす方々からその施設への不満や暮らしの様子などを聴くことです。

でも聴いたのは不満ではなく、その方の人生でした。

自分よりもずっと若い私に対して話を聞かせてあげられている、ということを感じてもらっていたと思います。私は言葉にできないほどの一代記を聞かしていただきました。

ある人の場合、戦前、中国で働いていて満州事変が勃発し、大戦へと進んでいく。そしてやがて日本の旗色が悪くなり、逃げないと危険だと分かったときに、安全に逃がしてくれたのは中国人だったそうです。それから船に乗り、ようやく日本に辿り着くわけですが、船は佐世保に入港し、船から見えるその斜面には菜の花が咲き乱れていてそれは綺麗だった。あっ、生きて戻ってきたと思ったそうです。だから毎年、菜の花が咲く時期になると、あの、帰ってきた瞬間の幸せな気持ちを思い出すと話してくださいました。そういう話を聞くと私も嬉しいです。

その人はそれから母子寮の寮母になったのですが、ある日、ヤクザが妻を返せと怒鳴りこんできました。彼女は体を張って制止したので、彼女はヤクザに切られたりする。そんなことは、今お世話をしている介護士さんたちは全く知らないです。ただ、認知症のAさんという存在として扱うわけです。彼女の話がどこまで事実なのかは、全然問題ではなくて、そもそも周囲の人は彼女のことをどう思っているのだろうと気になります。そもそも私が話を聞いたきっかけは、Aさんが隣の人のものをとったりして他の入所者の方と関係が悪いので、話をちょっと聞いてきてほしい、という施設からの要請でした。そういう役割でしたが、聴くと彼女の世界の一端に触れることができます。私にとっては大きな物語です。私が聴いて良いのかなと思うほどの語りでした。これらはまさに一期一会。次に会っても私のことは覚えておられないでしょうけれど。でも、そんな関係も幸せだと思うのです。

一期一会の中でお互いの何かがあれば良い。なくても良いけれど、あったらあったで嬉しい。そんなことを聞かずにケアするのはもったいないと思います。

 

Fin。

 

――Fin.

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