幻想の家族像に基づく社会福祉で幸せか?現実をきちんと見ることの大切さを問う。臨床社会学者・春日キスヨさんとの対談。
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春日キスヨさん×浜田きよ子 対談 『幻想の家族像に基づく社会福祉で幸せか?』

春日キスヨさんとの対談
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臨床社会学者の春日キスヨ氏は、在宅介護の現場で起きている変化が社会にとって大問題であるとして自身の講演などで積極的に問題提起をされています。その変化とは、「独身男性が親の介護をする割合がどんどん増えていく」という社会から見えにくい事実です。背景には長年日本社会にあった「家族像」の崩壊、終身雇用制度の崩壊、未婚者の増加、超高齢社会などがあります。既存の社会福祉の制度設計はこれらの事実を反映できていないがゆえに苦しい立場の家族はどんどん苦しい方向に追いやられていくという結果になってしまっており、その結果起こった事件、事故が時折悲しいニュースとして報道されるが抜本的な制度見直しには至らないという日本社会の抱える問題があります。社会的に弱い立場になった者の声はなかなか社会に届かないという事実もまた、春日氏の指摘を通して浮かび上がってきます。


家族像は激変している

 

浜田きよ子 かねてから春日先生がご指摘されている「家族の変化」は、非常に大きな問題です。しかしその問題は社会からは本当に見えにくいですね。かつて地域と職場と家族のネットワーク、親戚のネットワークが大きくありました。しかし今は仕事も非正規労働が増え、労働組合も元気をなくし、地域のコミュニティも機能しにくくなり…という状況です。人にとって最後のセーフティーネットだった家族も高度成長期時代の家族モデルではなくなっていて、現実は大変に厳しい家庭が増えているというご指摘です。

 

春日キスヨ氏 知り合いの40代の男性の例ですが、結婚2年目で妻が脳こうそくで倒れ、要介護3の状態でずっと介護し続けている方がいます。彼は仕事を変えながらずっと介護を続けています。この暮しって、一般的な夫は果たして、彼のようにやり続けられることなのでしょうか。

 

浜田きよ子 私は逆のケースの方を存知あげています。新婚旅行先でプールに飛び込み、そこで夫は頸椎を損傷しました。その後ずっと彼女が介護をしています。女性は男性に比べてケアの規範を若い時から生活の中で得ているせいか、私が出会った時には介護して10年が経っていましたが、今も継続されており、車いすをどう使いこなすかなどを相談し合っています。当然ですが大変な生活です。

 

春日キスヨ氏 家族の関係が残っている間柄ではそういうことができます。縁があって夫婦になった間柄で、助けあって生活していこうというのが家族の関係。友人関係ならばそうはなりませんね。そこのやりとりは特に親と子どもの間であれば、子どもが要介護者だった場合にはなおさら見捨てるわけにはいかないとなります。

 

シングルの男性による親の介護の増加

 

浜田きよ子 春日先生のご指摘にあるように、家族のありようが変わったことは大きなことですね。高度経済成長期から1980年代にかけてはまだまだ三世代同居が半数近くありました。今は三世代同居の家庭が少ないだけではなく、職を失った男性と認知症の母親という組み合わせのような、男性がケアする側に立っていて母を看るというようなケースが増えています。これは当時は稀なケースでしたが、今はもはや稀ではありません。そこでは結果的には虐待や介護うつが発生することも多数報告されています。

これまでは、そういった問題はどちらかというと本人の資質として扱われていましたが、やはり、地域の中で世話を焼くおばさんがいたり、心を許せる仲間で話しあったりとか、職場は終身雇用があって組合があるなど、自分と他者のつながりがありました。しかし、人のつながりを分断してきた今、家族しか残っていなかったはずの、その家族でさえも孤立しています。住まい方も、まかないつきの下宿のような感覚で家族と同居したりします。

家族を結ぶものはなくなっていて、そこにケアが降ってくると、ケアの仕方さえ教えられずに介護が始まります。これまでは男性は、「将来は何になるか」という教育を受けてきた傾向があります。女性は人の面倒をみるということも含んで育ってきています。こうした教育にも性差があって、家にいることを想定してこなかった男性が家に入る時には、何もできなかったり、虐待になったり、それは決して資質の問題ではなく、貧困や失業の問題であったり、親の年金で食べるという状態だったりで、複雑な要因が絡み合っています。

周囲からは「あそこは男性が介護をしているが仕事はどうしているんだろうね」と言われたりとか、様々な見方も含めて男性による介護は大変なものです。これからもっと超高齢化社会になっていくと、この問題がもっと顕在化していくのですが、まだ気づかれていません。私たちは地域を変える、職域を変える、家族関係を変えるという視点も持っていないと、これからのケアには対応できなくなるでしょうし。春日先生はこの問題をとらえて、ずっと社会に訴えてこられたわけです。

 

これは個人の問題か?社会の問題か?

 

――問題の要素の一つとして、男性のコミュニケーション能力の高低、あるいは熟練度についてどのようにとらえておられますか。地域や職場などのコミュニティーの構造や仕組みを考える一方で、個人のコミュニケーションの能力を磨いてこなかったのは男性の伝統的な特徴でもあります。「ちょっと助けて」というひとことを自分から言えない状況になっていることも、捉える必要があるのではないかと思うのですが…。

 

春日キスヨ氏 男性は職場では野球の話とかのコミュニケーション能力は高いのですよ。カープの黒田投手にかける期待などを話しだしたら、それは豊かな言葉が出てきます。

しかし家庭で女性が担ってきた介護を、新たに男性が担う場合に、そのつらさを語るような相手がいないですね。40代、50代の男性ならば妻がいて家族がいて…というイメージが社会の定型にされてしまっています。実際にそういう相手に対して、シングルの男性が親の介護の話をしたら、聞いた側が引いてしまうこともあります。彼らの話を受け止める場がないのです。学生時代の友人に会っても四方山話はしても介護の話はしません。苦境を語る相手がいないのはつらいことです。

やはり男性の場合には、事実を事実として語ったり、批評家として語り合うことは慣れています。でも自分が抱く言葉にならない思いに何とかして言葉を与え、それを素直に表現するという話ができません。その言葉にならない思いは、子どものころから母親がくみ取ってきたのです。あるいは恋人がくみ取ってきたのです。だから男性である本人には、自分が相手の気持ちをくみ取りながら、相手の気持ちと自分の気持ちとをからませて表現していくというコミュニケーション能力が不足していますよね。

団塊の世代が退職したら地域社会に男性が出ていくと言われていたのですが、実際には語られてきたほどには出ていかなかったでしょう。それは、役割とか課題遂行的に与えられたテーマについては話はできても、「今日は桜がきれいですね」から始まって、「子どものころよりも桜が咲くのがはやくなった」とか「子どものころにはおふくろに連れられて桜を見に行った」とか、そういう会話にはならないからですよ。

女性たちは桜を見ても「昔、夫がこんなことを言った」とか、桜にまつわる経験と当時の気持ちを絡めながら今を語り、そして聞き手の人生とも絡んでお互いに心情を交換していくのですが、男性はそれができません。

私も大学での仕事が落ち着いてから、地域の女性の会合に出るようになりました。最初は戸惑ったものです。会議というものはテーマや段取りがあって、小気味よく決定していくものと思っていたのです。ところが地域の女性会はそうはいかない。課題遂行型ではなく、関係づくりのための会合になります。だから話題が無限に広がり、決定事項になかなかたどりつかない。時間通りには終わらない。あの流れは男性にはまねできないことです。

 

浜田きよ子 そう。そんな男性が介護に直面するから問題になります。女性ならば話し合いができるが男性はそもそも思いを伝えるのが難しい。そして本人のことに関係なく、周囲からは「あの人、仕事はどうしているのだろうか」などという目を向けられて、どんどん孤立していきます。

 

春日キスヨ氏 特にシングルの息子の場合にはその目にあってしまいます。

 

浜田きよ子 女性が親の介護をしていると周囲は、「あの娘さんは偉いわねえ」といった評価をしやすくなります。でも男性が当事者になると、社会の目は一変して厳しい評価になり、当事者もその厳しい周囲の目を自覚してしまう。そこのしんどさがあります。また、現代の特徴として、失業によって経済的には、今の格差社会で親の年金により生活している場合は、そのことにも周囲の目が向かってしまいます。

 

春日キスヨ氏 そういうことに直面するから、介護をする男性は周囲との関わりを構築しにくいのです。それはもう、個人のコミュニケーション能力の問題ではないでしょう。その状況からでも外とつながっていくために、サポートしてくれる人が必要だと思うのです。

 

――当事者の声が集約されていくことは難しいでしょう。それが社会に届くのはもっと難しいでしょう。

 

春日キスヨ氏 そう。私がその難しさを実感したのは父子家庭の会との関係からです。

社会からの目は厳しく、当事者が語る場がなく、それを聞く人がいません。統計データでは「男は自立しているから助けは要らない」という風潮が続きます。女性は他者に対して支援要請できるが男性はしにくい。そういうデータを父子家庭の父親たちに見せて説明すると、「役所に助けてくれと言うと、病気になってから来なさいと言われる。あなたは働ける身体を持っているだろうと追い返されるのがおちだ」と返事をされます。排除される側の声は、社会に対する銅鑼にはならないのです。

今、男性の介護者の存在が社会の中で認知されていっているが、それは夫と妻の関係です。つまり、定年退職した男性が妻の介護を担うケースです。定年退職をしたということは、夫は仕事を勤め上げ、年金があり、子どもがあり、男として社会的な責務を全うした上で、さらに妻の介護をする。この男性は立派であり優しい人だという評価になります。シングルで親の年金で生活する男性介護者の場合は、排除の論理の標的になってしまいます。

 

――春日先生の研究領域で、苦しい立場の方々と社会の接点になっているような研究者は多いのですか?

 

春日キスヨ氏 私の世代では少ないでしょう。若い世代では、社会学の捉え方が変わってきているので少しは出てきているとは思います。私の世代は、アメリカやイギリスでの学問を日本で展開していくのが伝統的な形の一つでしたから。

 

暮らしの中に入っていけない男性

 

――定年を視野に入れ始めた壮年男性が、定年退職後に社会活動家として生きていくというようなイメージを持つことができる講座などは可能でしょうか?

 

春日キスヨ氏 聞く側の男性は、自分が老いて介護をする側になるという未来には関心を持たない人が圧倒的に多いのですよ。

 

浜田きよ子 自分はずっと元気とか、あるいはそこははじめから見たくないとか、男性心理にはそういうバイアスが働くのかもしれません。

 

春日キスヨ氏 英会話とか名作映画を観る会とか、そういうことには高齢の男性も集まりやすい。でも、介護に関しては難しいですね。

 

浜田きよ子 その通り。私も市民公開講座などで介護の話をしていますが、参加者は9割以上が女性。男性参加者は、実際に介護に直面して今困っている人。男性で、後学のために聞きに来るという人はとても少ないです。介護や老いというテーマからは距離を取りたい人が圧倒的に多いのでしょうね。暮らしの中に入っていくよりも自分自身を磨きたいという人が多いのかなと思いますね。女性は自分の視線の中に生活があります。「個」としてよりも広い意味での暮らし方を考えたりすることが多いですね。社会的には女性の教育にはそういう要素が入っているのだと思いますよ。

 

春日キスヨ氏 男性の教育は昔から「何者かになるための教育」が続いています。だから、ここにあるしかない人生を生きるという視点での学びが少ないです。女性の場合は従来のジェンダー観が薄くなったとはいえ、他者の気持ちがわかる方が良いとか、優しい方が良いとか、そういうことは続いています。他者との関係の中で生きる学びがあります。男性に対する教育は、ここにある関係を今生きる、ということではないですよね。

 

介護を在宅に押し付けると何が起こるか

 

浜田きよ子 そして、社会の構造が急変したのです。

 

春日キスヨ氏 そう。高度経済成長期には98%の男性が結婚をしました。ところが今の50代男性の3人に1人は一度も結婚をしたことがないのです。短期間でこんな社会になったのですよ。これは大変革です。団塊世代は兄弟の人数が5人などいるが、今の40代なら1人っ子か、2人っ子が基本。じゃあ、この世代が脳こうそくで倒れたら、誰が面倒を見てくれるのですか。周りには助けてくれる人がいないのです。にもかかわらず、この国の介護は在宅に押し付けられようとしています。在宅で受けたらどんなことが起きるのかなんて、想像せずに決めたでしょう。現場の「家族」にはもう弱い力しか残っていないのに、無理なんですよ。

 

浜田きよ子 家族の概念が旧態依然としていて、その幻想のような概念に基づく制度はとうてい現実的ではありません。自分たちの思う家族イメージがこれからもどんどん変わっていきます。私も経験しましたが80年代、90年代の在宅介護の講義といえば、お嫁さんが介護者になっているケーススタディがほとんどでした。ここで介護を困難にしているのは嫁姑問題でした。今はシングル息子と親の関係や家族の変遷などが問題です。自分の家で暮らすと言っても、「そもそも家族がどう機能しているか」ということをとらえないといけません。今、この大問題が顕在化しておらず、より一層放置されてしまいます。

 

企業経営の問題でもある

 

春日キスヨ氏 私は呼ばれたら可能な限り、こういう話をし続けています。家族の問題としてとらえるだけではなく、解決の手段になりえる可能性があるのは、職域の問題だと捉えなおすことです。全国的に、中小企業の中堅社員のシングル率が高いのです。大企業に比べて給料が低いから結婚相手が見つからないとか、中小企業には特有の事情があります。そしてその中小企業で何が起こっているかというと、幹部社員が親の介護に直面しているということです。介護をするために退職したり、退職せずとも労働時間の短縮を余儀なくされています。これが企業経営がゆがむ要素になっています。介護はもう、中小企業の死活問題になっているのです。私は中小企業同友会の女性経営者部会に関わっています。経営者の集まりで家族の問題についてとり上げると、以前は男性経営者は「それは企業の関わるところではない」という反応がおこったものです。それがようやく去年、全国の中小企業同友会の一分科会になりました。いくつかの県で取り組みが始まりました。経営者自身が「そうか、社員の介護問題は経営問題なのだ」という視点を持つようになってきました。

 

浜田きよ子 家族の概念と現状が春日先生の話を聞くたびに、危機的状況だと思います。そこに介護が入ってきますから、もっと危機になっていきます。答えはなかなか出ないのですが、答えをすぐに求めようとするのではなく、現状をしっかりと見ることが大事なんだということを教えられているようです。私たちはその現状に気づいていません。家族の実像がつかめておらず、漠然としたあたたかい幻想を持ち続けています。そうではない現実の家族像であり、その苦しい人たちが作っている今という時代をきちんと見る。ということから、考えていかなければならないと思います。

 

――Fin.

取材メモ:2015年4月7日 於:京都市社会福祉会館

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