この人が、絶対にできない。ということを私はみじんも証明できない。窪田静さんとの対談。
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窪田静さん×浜田きよ子 対談 『この人が、絶対にできない。ということを私はみじんも証明できない』

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窪田静さん 窪田静さん

2014年1月29日、京都の社会福祉会館でむつき庵の特別講習会があり、講師に愛媛県立医療技術大学で教べんをとる窪田静さんが講師をつとめられました。窪田氏と浜田きよ子は、ともに社団法人テクノエイド協会が発行した『ケアマネジメントのための福祉用具アセスメント・マニュアル※』の制作に携わるという経験をしました。

※『ケアマネジメントのための福祉用具アセスメント・マニュアル』は、3年間かけて各年度1冊ずつ執筆・編集し、都道府県の介護・実習普及センター等に配布された。3冊を合本する編集作業にさらに1年かけ、中央法規出版から1998年に出版された。

 

福祉用具を俯瞰する

 

浜田きよ子 本日はありがとうございました。

 

 ――浜田きよ子さんとほぼ同じ意味の言葉を使われる方は珍しいと思いながら聞いていました。

 

窪田静さん それは単語という意味ですか?

 

――単語の意味ではなくて、長いセンテンスの中にある意味が似ているという印象です。

 

浜田きよ子 自覚はないのですが、そうなんですね。私たちが出会ったのは93年くらい。テクノイド協会の『ケアマネジメントのための福祉用具アセスメント・マニュアル』の編集。

そこでやったのは、それぞれが実践している福祉用具の適用技術をお互いがぶつけあってそれを編集長がまとめていく。その前にまずは、誰もそんなことを体系だってやったことがないから、自分たちがやっていることを出し合おうと話し始めたんですよね。

 

窪田静さん 分担執筆ではない。ということが画期的でした。その後に、ある集団で本を作ることになり、その方式を提案したらすごく反発されました。著作権を守るためには、担当ごとに割り振って書くしかないのだと、その一件で理解しました。『アセスメントマニュアル』は、どこにもだれの著作権もない。という特徴がありました。

 

浜田きよ子 そこにいた人は、自分以外の知識を吸収し、学び合った。これが大きな経験でしたね。

 

窪田静さん 今日、講演で私はモジュラー車いすの件ではひどい目に遭ったと言いました。

あの本の編集作業は本音をたたかわしていたからリハビリテーションセンター系の人が、車いすはオーダーメイドが一番だと言い、私はそうじゃないと言う。お互いに自分のフィールドでの経験を背負ってそういう話をするのですが、何がどう違っているのかは当時解っていなかったと思います。ただ、ああいうことをあんな風にあそこで話ができたことは、しかしそのあと、形を変えて伝わったはずだと思う。激しい主張をしなくてもやりとりを聞いている人もいましたし。あの3年、4年という時間はほんとうに贅沢な時間だったんです。

 

――福祉用具は10年、20年、よくぞ頑張ってきたなとか、よくぞ成熟してきたなとか、あるいは課題がどんどん見つかってきたぞとか。そういうふうに福祉用具の存在を適正に評価できる人ってほとんどいなくて、その始まりから知っている人くらいなものです。ずっと関わってこられたお二人からすると、用具の総括というか、どういう意義深さを見ておられますか。

 

浜田きよ子 くだんの『マニュアル』を作った時は、制度的には高齢者や障がい者への給付、という枠の中にあって高齢者にとってはリフトを入手するには高価だとか、そういう問題があった。それでも用具が広げる世界が確実にありました。暮らしがこんな風に変わるということを用具で実感してきたのです。その実感してきたものをお互いにぶつけたかったんですね。自分たちはこんな風に相談を受けて、こんな風に用具を選んで、使って、生活が変わっていった経験をそれぞれが持っていたのです。

その実感をしていく中で、当時の日本は福祉用具についてはかなり認識が低かった。用具について知っている方でも、どちらかというと、特定の用具に関しての専門家の立場に立っている感じで、広い視点で用具を選ぶという立場には立っていない方がほとんどでした。その意味で、どのメンバーにとっても画期的な出会いと議論の場だったんです。

そこから用具の意義というのが認識されてくるのですが、良きにつけ悪しきにつけ介護保険という中で、レンタルの用具とか、特定福祉用具とか、一定の用具が決まっていく。

そうなると当然、レンタルという枠の中で福祉用具を選んでしまいがちになってしまう。それでいいのだろうかという思いはあります。

しかし、介護保険ができることによって福祉用具が広く使われるようになったのも事実です。このように福祉用具は制度に左右されてきた要素がかなりあります。私は、母の介護がきっかけで福祉用具と出合い、用具が広げる暮らしを見てきました。その意味で、用具が好きです。しかしひとつ間違うと大きな事故や生活を狭めたり、あるいは用具を適用することに満足したり…。

福祉用具が良い形で広まってほしいとずっと思ってきたんですね。だから、今の質問は非常に答えにくいです。
介護保険制度の中で福祉用具はビジネスとしてもかなり右往左往している印象です。その不自由さの中で動いているのかもしれません。しかしそれらはさておき、もっともっと使われてほしいです。

 

福祉用具は不自由か?

 

――制度によって左右される要素が大きいということは、産業としては市場との関係において自由に、そして適正な育ち方をしにくいのだといえるのかなという気もします。

 

窪田静さん 今の話でいうと、お薬や眼鏡で例えるか、自動車やコンピュータに例えるべきか。産業として自由があって、市場との関係で成長できるのは自動車とかコンピュータですよね。一方、眼鏡は自費購入ですが自分で度を選んで購入するわけではない。処方箋も自分で書いているわけではない。今は、座ったら検眼される。私はどう見えるべきか、というものが明確にある。私はこれで良いとか悪いとか言えるのですが、福祉用具はその基準を持ちこめるか?という問題があります。

私が今日話したことは、身体に適合させることは勉強できる。しかし物語的な部分は...置いて行かれていないか、ということです。亀吉さんというおじいちゃんを、息子さんは「働きづめで90を過ぎたのだから、今はゆっくりと寝かせて」いる。それが親孝行と信じて。リフトを使って起こさないと廃用症候群になるというような言葉は通じない。ただ、床ずれができるとそれを治してやりたいと思う。そこで、始まるのですかね、物語が。

「床ずれは、お風呂に入れると良いですよ。」と言われて。すると一生懸命に抱きかかえて風呂に入れて、腰を痛めてしまう。そこに、リフトを使ってお風呂に入れみたら?と。これは息子さんに通じた。仕方がないから腰が治るまでと言いながら、自分であれこれ考えてベッドの横に浴槽をしつらえるわけです。

リフトでお風呂に入れてみると、「うー」しか言わなかったおじいちゃんが話し始め、タオルで顔を拭いたりするといった様々な変容があり、息子さんは理解するわけです。寝かせておくのが親孝行じゃなかったと。そっからは息子さんがスパルタリハビラーに大変身。亀吉さんはしゃんと座ってお酒や煙草を楽しむように…。

その流れは予想はできない。でも狙ってはいる。このユーザーさんの層には、自動車やコンピュータを買う人たちと同じ購買意識があるわけではないですよね。

ケアに携わる人はそこが一番面白いはずなんですよ。この家に何万円分の用具が売れたと言って喜ぶ世界ではないんです。当事者が幸せになる。そう当事者が思えて、支える側も感じとれる。

それによって社会が変わる。そこに喜びを感じ取れる人じゃないと合わない仕事だと思う。

今は、高額所得者も誕生してるのかもしれないけど、何を一番大事にするかというと、お金ではない部分があります。

ただし、産業として健全に、消費者が、自分はどの程度のものが必要なのだとか、何を使えば何が得られ、使わなければ何を失うのか、もう少し分かっても良いとは思うのですが。

 

はじめてつかうのだから、用具によって広がる世界は、見えているわけではない。

 

浜田きよ子 必要なものを提示して使ってもらうというのが簡単ではないのでしょうね。周囲の人は本人には眼鏡があればよいと思っても、本人は眼鏡を欲しいとは思わない。お風呂が嫌いだと言う人たちもいる。

けれども本当にそのままでいいのか、それは本人が本当に望んでいることなのか、私たちはそこまで考えないといけない。お風呂は入らなくてよいと本人が言った場合に、じゃあ、お風呂に入らないと生活にどんな影響を与えるのか、を思い描かないと選ぶ用具が変わります。

私が物語と言ったのは、本人が知っている暮らしの中には、福祉用具はほとんど入っていないからなんです。

知らないものが入ってくるのは、その意味がわからないと、高いとかやっかいとか、負のイメージだけを考えてしまうでしょう。

福祉用具を紹介し、相手に適合しようと提言する側の人生、物語がある。それは、用具によって広がる世界を見てきたからそう言えるのだが、相手はそれを知らない。初めての体験として、用具によって広がる世界を体験する。ここがうまく交差してくれないと用具はなかなか使われない。そのために物語と言っていたんです。

本人のやる気があるから生活が広がるのではないです。やる気を持ってもらうための何か。それを探すことは大切です。そして一つ変わればどんどん変わっていく。その体験なのです。

用具を選ぶ人たちは、そのような体験を重ねてきています。しかし使ったことが無い人は、亀吉さんのようにその広がる世界が最初は見えないのです。そのあたりが車を買うのではない難しさがあるんです。

 

窪田静さん 今日お話しした、私のどうにかしたいという思いばかりが先行してご本人からは迷惑がられていたという筋ジストロフィー症の女性の場合。

途方もなく長い、発展しない何年間を過ごしながら、私は彼女には、トイレで座って排泄してほしい、楽にお風呂に入って欲しいと思い続けていた。絶対にできないということは、私は証明できない。この人がトイレに行きたいとは思っていない。ということを、私はみじんも証明できない。本当なら行きたいはずだというイメージしか溢れてこない。

本人が私はお風呂が嫌いだと言っても、私はそれを受け入れられない、私は彼女はお風呂に入らないほうが良いということを証明できない。それをできない以上は食わず嫌いなので、まずは食べてもらう。そのうえで、お風呂がやはり彼女に必要ないのであれば、謝る。だからそのために何が必要なのかと考える。一緒にこたつに入ってみかんを食べるとか、そういうことをするんです。

5年前、その彼女に私の後輩がインタビューに行ってくれたら、窪田さんがいなかったら私の人生は変わっていたと言っていたそうです。私が正しかったということではなくて、生き物として、自然にそうだった。それに従っただけ。人は死にたくなくて、人と交わりたい。それを妨げているものを取り除くと、長い時間の中で諦めているということを本人さえ忘れていたこと。それが表に出てくる。そういうことじゃないかな。

 

浜田きよ子 言葉は微妙ですね。周囲への配慮、遠慮を含んで話すので、人は自分の気持ちとは違うことでも平気で言える。死にたいのではなくて死にたいくらいしんどいというメッセージだったりする。

 

窪田静さん 生きたい、という同じことで、歩きたいという心情がある。

 

あきらめていない人が話すこと

 

――その壁を超えたいと思わなくても仕事はフィニッシュできるのに、ご自身は超えたいんですよね。生徒さんには、この壁は超えるのですよと教えるのですか?

 

窪田静さん リフトで吊り、吊られる経験は必ず授業でさせますよ。ベッドの背上げが苦しい経験も必ずさせます。ところがあるとき、学生が実習している施設を会場に、ケアマネージャさん120人くらいの前でリフトのことを話す機会があったんです。すると参加していたケアマネジャーの方から、リフトを使ったほうが良いということは分かった。でも、私はリフトを見たことがない。見たことがないものを利用者に勧められない。どうすればいいか、という相談があった。この様子を見ていた学生が、あれはどういうことかと言いに来た。学生の自分たちが勉強していることをプロの人たちが知らないってどういうことなのかと。学生が当惑して訴えにきたんです。

 

浜田きよ子 そういう状況は多いです。ケアマネージャさんで、福祉用具を自分の血肉にしている人は少なかったりする。業者さんに任せたり、積極的にリフトを選びに行くことができなかったりする。その人の物語の中にリフトが入っていない。これは自分で体験して便利だと思うからこそ、人に勧めることができるのです。

 

窪田静さん 温室の学校の中でいくら良いことを教えても、現実の世の中にはまだ実現してないことがあるかもしれない。だからワクチンは打っておかないといけない。私もこれまで随分頑張ってきたし、社会は少しずつ良くなっているので、あなたたちはそこから頑張れというんです。

 

浜田きよ子 10年ぶりに再会した窪田さんが、用具をどう捉えてこられたのかは大きな関心ごとでした。福祉用具の普及や選定などを形作ってきた時代の一端を共有させていただいた頃を思い出しながら、その当事者である窪田さんが用具を話すのは刺激的でした。柳原病院の補助器具センターに何度も足を運ばせていただいた日のことを思い出していました。そして、福祉用具が暮らしの道具になるために必要なこと、それについて今日改めて考えさせていただきました。

 

――ナースの視点と用具の視点は同じなのですね。

 

窪田静さん 私は同じだとは思っています。ナースもいろいろですが。私の考えるナース像は、浜田さんがおっしゃる福祉用具の視点と一致していると思う。

私としては、看護職を育てる立場なので、看護師を代表して、看護師はそういう仕事だと言いたい。そこに導きたい。

 

――Fin.

 

取材メモ:2014年2月、京都。司会/本サイトウェブマスター

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