HOME > 考える介護のために・対談シリーズ > むつき庵副所長 熊井利將さん
――以前からおむつフィッター研修などでご活躍されていて、現在はむつき庵副所長としてもより一層精力的にむつき庵の活動に取り組んでおられる熊井さんですが、浜田きよ子さん、むつき庵との出会いなどについて教えてください。
熊井さん 開けてはいけない扉を開けたような感じでした。自分は“この世界”を知らなくても介護の世界で十分にやっていけたんです。でも、開けてしまいました。
浜田 熊井さんははじめから何でもできた人。すごく優秀で、自分の世界で悠々と生きていました。
熊井さん そうなんです。ところが、この扉を開けたら自分の世界が狭かったことに気づかされたんです。もっと大きな世界があったことに気づいてしまったんです。僕はもともと鍼灸師で病院に勤務していました。その頃に介護保険ができてケアマネとなり介護の世界に足を踏み入れました。病院に来られていた患者さんがデイサービスを立ち上げるとおっしゃったので、僕も協力しました。立ち上げの中心メンバーでさせてもらって、雇用関係も担当しました。29歳頃です。銀行との融資の交渉などもしていました。
そしてデイサービスのスタッフがおむつフィッター3級研修を受講してきて、「排せつケアの勉強会をしよう。知らなかった世界があるんだよ。おむつのことを勉強しようよ」と話しあっていました。
僕はケアマネとして排せつケアのことなんて知っているつもりだったのでそこには出ない。自分らでやったら良いよ、と返事していました。事務所の隣の部屋で勉強会をしていたので聞き耳を立てていたら「これはまずいぞ」と思いました。何の話をしているのか分からない。排せつとはそんなに考えるものだったのかと驚きました。僕はケアマネなので負けてられないぞと、すぐに3級研修を申し込みました。ここで浜田さんに出会ったのです。その頃の僕は介護福祉士の専門学校で非常勤講師をしていました。そこでこれは皆に伝えなければいけないぞと思い、むつき庵設立3周年のイベントに学生15人ほどを連れて行き、皆でおむつのファッションショーのお手伝いに行きました。
浜田 そういった頃に3級を取られて2級に進まれたのです。
熊井さん デイサービスの職員さんが先に2級を受講されたんです。先に。これは負けてられない。僕は3級から2級までは時間が空いたのですがなんとか受けることができました。3級と2級の違いは何かということですが、実は3級の時点で「分かったつもり」でした。こういう風に考えれば良いんだと思っていたんです。
2級は各論に近い内容で、こんなことまで考えないといけないのか…と気付かれて行きました。ここでもまたさらに世界が広くなりました。
その頃の僕は、手のひらくらいの大きさの世界が両手をいっぱいに広げたくらいの世界になった感じでした。おむつフィッターさんたちとの出会いがあり、いろんな出来事があり、紆余曲折がありました。そして、1級研修があるぞということになり、1級の最初の受講生になることができました。
――1級研修は“浜田きよ子”という人の世界が現れてくるんでしょうか?
熊井さん もちろんコーディネートされるので全体は浜田さんという存在でまとめられていますが、各界の専門家の講師がより深く講義をします。「え?こんなところまで気を配るのか?」という驚きがあります。そこまで深く考えないといけないということを気づかせてくれる研修です。2級と1級を受けると2つの講義の内容が繋がれていることが分かり、人を見る見方がより豊かになります。そしてむつき庵とももっとしっかり付き合っていきたいと思うようになりました。むつき庵に行き、浜田さんと話すなかで、いつも本を読むことを勧められました。ただ浜田さんが勧めるような本はこれまであまり読んだことがなかったのです。
浜田 本って面白いでしょう。
熊井さん 本を読むことがさらに自分の世界を広げましたね。人に会うことももちろんそうですが、僕にとっては本を読むことの影響ですね。本を読むことで世界が広がって、おむつフィッターの研修を受けていたことと読書によって気づかされたことがリンクしてくるようになりました。これが良い経験でした。振り返ればそういうことだったのかと。
自分の価値観を一番、揺さぶられたのはヤスミナ・カドラ著『テロル』ですね。斉藤道雄著『治りませんように』ももちろんモヤモヤとしますが。
浜田 『テロル』は、イスラエルに帰化し、市民からの信頼も厚いアラブ人の外科医が主人公です。地域から尊敬されている医者の夫婦です。そこで自爆テロが起こり、妻が巻き込まれたと知られてショックを受けます。そうこうしているうちに妻が首謀者だったことを知らされ「なぜ?」と妻の足取りをたどっていきます。答えがあるわけではなく、自爆テロをする人の側から見た世界を知ることになります。テロはいけないことですが、そうまでしないといけない人たちの存在であるとか、暮らしとか、私たちは何も知らないわけです。人がすることには理由があります。そして同じ地平の上で生きているというもうひとつの世界観が見えてきます。自分の価値観を前提にすると他者の痛みも悲しみもこだわりも見えなくなります。
おむつフィッター研修で皆さんに知ってもらいたいことは、「多様な価値観」です。排せつは人それぞれで、こうあるべきと言ったところで、その答えからはみ出す人たちがたくさんいます。いろんな人にとって気持ちの良い排せつを考えてみると、自分の暮らしがスタンダードになってしまえばそこから外れた思いがけない暮らしがあることも知らされます。そういう価値観を知っていただくために、難しい本ですが『テロル』をお勧めしています。何より私にとって、考えさせられた本でした。
熊井さん ハッピーエンドにならないのです。自分の見ている世界が「絶対」なんですが、相手から見た世界も存在していて人の数だけそんな世界があります。自分のことが絶対正しい、相手は間違っている、認められない。そんな自分たちの世界の小ささを考えよう。というのが、浜田さんから与えられた課題なんだろうなあと、思っていました。
――ケアマネ時代から他者のことを熟考されていました?
熊井さん しない。もう全部わかっているから、任せてくれたら絶対良いようにするから、安心して任せてくださいねという感じでしたね。おむつフィッター研修でそれが崩れ、最近はそれがさらに揺らいでいます。障がい者の方々のサポートもするようになっているので、もう、僕の最近は多様性のるつぼです。
例えばいわゆるごみ屋敷に住んでおられる方。そこに住むには理由があります。片づけられないのか、保管したいのか。色々あります。その見えない理由を想像することによって相手を認める自分になるというか、住んでいる世界が違うからと切らずに、本当にその想像し得た世界に住んでいるのかな?とか。そういう風に思うと、人を認めやすくなったのでしょうね。排せつは人それぞれじゃないですか。これでなければダメ、ということはあり得ないです。そういったことが研修と読書によってリンクしたんです。
最近は「価値観とは何か」と思ったりします。従来の「こうでなければならない」という部分をひっぱり出してきて「ああ、これが自分の側の価値観だったんだな」と認めて、考えをリセットする。ということもしています。そういうことができるようになったのが研修であり、浜田さんとの出会いだったんだろうなと思います。
“この世界”は面白くて、好きなんです。排せつケアのことを離れて人に出会うときもこの考え方を大事にしています。おむつフィッターというのはこういうことを伝えていくんだろうな。浜田さんが伝えたいのはこういうことなんだろうな。僕もそうやって伝えていきたいな。と思います。だから難しいのです。おむつの使い方を伝えるのは、ある意味伝えやすいんです。
むつき庵が存在する理由、研修が存在する理由、ということを考えていくと、この伝えにくい「考え方を伝える」という活動がより一層大切になると思います。正解を伝えるのではなく「楽しいですよね」ということを伝えたいです。
僕は、自分の意識の変遷が楽しかったんです。皆さんにとってもきっと楽しいことです。この世界の広さを知っていこうよ。という風に思います。
2013年にむつき庵がグッドデザイン賞を受賞した時のポスターのように、むつき庵は小さいのですが周りがどんどん巻きこまれていくような動き。その動きが分かってきました。
人生に失敗はないと思うのです。どこかにつながるので。
――浜田さんに出会うというのは、知りたい答えを持った先生としての浜田さんに出会われた?
熊井さん その頃の話がまた面白いんですよ。その頃は、むつき庵との関係をスムーズに築けたら僕ってもっとケアマネとして活躍できるぞって思っていました。そう思っていろんなことに参加していましたが、いつの間にかその気持ちがなくなっていて、どこで落としたのかは分からないのですが、そうじゃなくて、やっていること自体の面白さと、自分の世界が広がっていく楽しさに夢中になっていました。僕はそれを伝えていくお手伝いをさせていただくのが使命かと思っています。
浜田 熊井さんは、出会った頃から変わったのですよ。何でもできる人だったのが、いろんな形で、立ち止り考えるようになったんです。ご本人はしんどかったでしょうが。
熊井さん しんどかったです。今から思えば必要な大変さだったんだろうと思います。自分を否定する話ですからしんどいです。でもそのしんどさの中で、自分の世界が狭いと気付いた時は楽しかったんです。これを経験したら楽しいですよと、伝えたい。
もちろんそんなこと知っているよ、経験済みだよという人が多いかもしれません。そのことも含めて受け入れることができるようになったんですね。
浜田 バリバリ仕事をして社会的に認められて…という狭い価値観の中でしか生きてこれなかったら、病気を得たり体が不自由になったりしたら、それを引き受けきれないじゃないですか。人は当たり前に老いて死んでいくわけですし。それらが同じ地平にあります。
だけど多くの人にとって価値観は、「より多く、より高く」というのが当たり前?のようで、そこで暮らしていると視野もせまくなるし、自分も周囲も受け入れられなくなりそうです。そこから外れる事象って、生きているうちにたくさん起こっていきます。もちろんそう簡単に受け入れられるものではないですが、いろんな経験を通して価値観も変わりうるし、それらも当たり前だと受け入れていくようになる。そのなかで、目指すもの、見えるものも違ってくると思うのです。そんな景色の見え方を共有できたらと思います。
熊井さんが大きくなった、広くなったとおっしゃるのはそういう意味で世界が広がったんだろうと思います。
熊井さん 『テロル』でいうと、自爆テロをした人が悪になるのですが、そうせざるを得なかった。なぜその道を歩いたのかということを考える。テロは悪いけれど、その背景をなんとなくわかる、そうするしかなかったんだなと思うと、相手の言い分は受け入れられなくても一旦考えることはできる。
浜田 テレビのニュースも、同じ地平に生きているはずなのに、遠くの出来事は他人事として見ています。
仮に、テロのニュースがあったら、食べるものに困らず、雨露をしのげる家に住んでいる私が、彼らの理由でそうせざるを得なかった人については何も知らずにその悲惨さを見ています。
熊井さん 自分と他人の違いって何だろうと、それを真剣に考えないといけないという気がしています。排せつに関係ない話のようになっていますが…
浜田 でも繋がるんですよ。排せつって見せないし、見られたくないし、私の中では繋がってますよ。
熊井さん 僕の中でも同じなんです。
――排せつの価値、重さみたいなものですね。社会の中で隠されてきたその値打ちがむつき庵によってあらわになった。ここにむつき庵の大きな仕事があるんだと思います。
熊井さん 実際に介護や病院の現場を見るとまだまだ排せつは最後のほうに置かれているなと思います。だから伝えていきたいのですが、考えてほしいということも思います。一瞬考えようよ。と思います。
考えるためには引き出し、つまり仮説を立てるための基礎知識のようなものを開けていく必要があるので、その引き出しを増やしていくのがおむつフィッター研修なのかなと思います。
おむつフィッター研修で何かが変わるとはいえ、そんなには変わらないのですが、考えるようになる。それが行動の変化になっていく。引き出しを開けてみて違ったら別の引き出しを開ける。2級以上の各論はそういうことですね。
でもその前に、「まずこの人のことを考えよう」というのが大事であって、例えば「この人はベッドの上でどんな世界を生きているんだろう」と考える。そこが大事ですね。
浜田 おむつフィッター研修は排せつケアのマニュアル化ということは意図して避けてきました。人をマニュアルに押し込めることはできません。目の前の人を知ろうとすることからしか動き出せません。食べることも寝ることも全てにつながるので、その人の生活史を知り、なぜそうなったのかを考えないといけない、この当たり前のことを伝える研修です。考えるときにあてずっぽうではなく、ちゃんと引き出しの中に確かな知識を入れたうえで考えます。これは、枠組みを変更するための研修なんです。そのうえで、他者のことは分からないということもやはり知っておかないと…。
――熊井さん自身は研修での講演が増えていかれますが、お手本は浜田さんですか?
熊井さん 浜田さんに近づきたいと思います。でもそう思ったら、自分の言葉もよく考えなおしますし、話した後もこれで良かったのか、参加者さんとの関係は作れたのかなど考えなおす機会が増えました。浜田さん自身がそうされていますし、そういう姿を見て僕もそうなってきました。
最近はもう、これで良いとは思わなくなりました。もっと良い言い方があったかなとか、資料は適切だっただろうかとか、終わった後にそういう振り返りが増えてきました。
しゃべればしゃべるほど、できない自分に気づいていきます。
浜田 話している自分を見ているもうひとりの自分がいます。こんなに話せていない、伝えられていない自分のことを見ています。多少、何かを知れば知るほど分からないことが増えてきます。いつも話した後は自己嫌悪になります。納得して今日は良かったというようなことは思えないのです。たぶん、それは、自分の知らなさがより分かってくるからでしょうね。
熊井さん 昔は僕は、講演をすると楽しかったんです。今は楽しくない。反省が出てきます。最近の大きな出来事である台湾でのおむつフィッター研修でも伝えきれなかったことがでてきて、取り上げた例が適切だったのかと悩みました。
浜田 それが次につながるんです。それでも成功しない。
熊井さん そうなんです。なんでだろうと考えていくしかないのです。
――むつき庵は今年、台湾での研修を行いました。これは海外進出の第一歩でしょうか?
浜田 いえいえ、そんな意識は持っていません。海外に行くことはそんなに思ってなかったのですが、先方からのぞまれて、しかも関心が高く、研修後にも根付いていくのならばそれは悪いことではないでしょう。
むつき庵の場合は、間に日本のNPO法人が入り、調整していただきました。今年(2017年)の3月に台中市の招きで、むつき庵から数名訪問させていただきました。おむつフィッター研修とは何かという話をしたのです。
「日本から知らない人が来て話す」くらいの講演ですから人は集まらないだろうと思っていたら、当初予定されていた300人収容の会場では収まらず500人収容の会場に変更になりました。台湾は日本よりも高齢化が急速に進むので社会への影響も深刻です。日本の介護に関心が高いのです。また親日ですので、日本のケアを知りたかったということです。
そこで、あらためてそのNPO法人とも話し合い台中市、新北市でおむつフィッター研修をすることになりました。台湾に行くなら若い熊井さんが行くべき。それは大きな学びの場でもあると、可愛い子には旅をさせようという意図で担当してもらいました。その研修で、台湾には計92名のおむつフィッターが誕生しました。秋にもう一回やりたいという話があります。熊井さんにとってはかなり大変だったようです。
熊井さん そうですね。まずプログラムを自分で作ります。伝えたいことがあるのですが、時間が短く中身を絞ります。伝えたいことを厳選するのですが、台湾の生活が見えないのです。どんな暮らしなのかが分からないので日本と同じことを伝えて大丈夫なのかと、ここは手探りです。でも、おむつフィッターとしては「ここは大事。考えてほしい」という部分があります。また、来られた方には考え方などを持って帰ってもらわないといけません。役立つことを持って帰ってもらわないと次に続きません。そんなことを踏まえてパワーポイントの資料を作ったのですが、推敲を重ねました。
浜田 それに通訳が入ります。しかも1日でやってしまうので、日本で2日間かけてやることの30%程度にまで集約しないといけません。これが大変で熊井さんは直前まで直していましたね。
熊井さん でもそれは自分がやってきたことを見直す作業でもありました。今回は現地の暮らしが見えなかったので、次に行かせていただくときには、暮らしぶりを拝見させていただけるようにしたいと思っています。何が大変なのかなどを知ることが必要です。
――現地で買えるおむつは中国製ですか?
浜田 いろいろあります。日本製もあります。中国製のテープ式では、立体ギャザーがなく一回留めると付け替えができないものがありましたね。価格の影響は大きいですね。日本でもフラットシートが安いから使うということはまだまだ残っています。
熊井さん 親を大切にするという意識の方が多いですね。自宅で親の介護をしたい、という方々。でも、そう思っている方に「あなたの子供はどう思っているの?」と尋ねたら、施設に入れるだろうという声はありましたが…。そういったことも伝えていけると良いですね。
自分の中で台湾のイメージを作り、歴史的な背景も勉強しました。浜田さんからお勧めの映画を教えていただきました。侯 孝賢(ホウ・シャオシェン)という台湾の映画監督の『非情城市』という作品です。第二次世界大戦以降の台湾が舞台で、日本統治から中国統治になって、中国から来た人々との間の軋轢や政治弾圧などに翻弄される家族の姿を描いています。2.28事件という大暴動が起き、台湾は1988年まで戒厳令が布かれていました。親日ということの表面だけで話すと背景の悲劇が見えないので、非常に勉強になりました。
浜田 現地でもおむつフィッター研修の意図や思いが正しく伝わっていけばよいと思います。
浜田・熊井さん むつき庵らしく、人と人の間にあるケアの本質を追究していきたいと思います。これからもよろしくお願いします。
――Fin.
取材メモ:2017年7月27日 於:むつき庵
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